普通教師は特定科目の指導にのみ優れるということです。英語も数学も国語もなどと望むことはしょせん無理というものです。したがって、個人塾では、指導が得意な教科とそうではない教科があることになります。私は、もしできれば、この指導得意教科に絞って通うことをお勧めします。そうでなければ、国・算、英・理・社各々専門の塾に通うべきです。いくら数学指導に優れるからといって、英語や国語まで教えるのが得意という教師はまずいないものです。またその逆も同様です。このあたりの発想は、大手塾利用のときと同じです。やはり塾は単科で利用する視点が正しいのです。個人塾は安いので、子どもさえ望めば、小六や中三になる前に、安心して通わせることも可能です。
身体を鍛えてメリハリのある肉体美を志向する女性が増えてはいるが、それでも精神面では「実は傷つきやすく繊細な私」というセルフイメージを持ちがちだ。その方がなんとなく女性らしいように思えるし自己愛を満たせるからだが、こんな独特の心理が肌に関しても働き、敏感肌の自己申告者数を増やしているのだろう。そこにずばりとはまり、目を見張る躍進劇を演じたのが、DHCとファンケルという通販化粧品の2大メーカーだ。この2社は90年代に入ってからともに急成長し、瞬く間に業界の勢力図を塗り替えた。いまやDHCは国内売上高で業界6位、ファンケルは9位のポジションにある。長らくマイナーな存在に甘んじていた通販化粧品がここまで成長するとは、いったい誰が予想しただろう。
日本では、九五・ニパーセントが仏式葬儀を営んでいる。ちなみに、神道は一・五パーセント、キリスト教は一・ニパーセントにすぎない(二〇〇三年、日本消費者協会調べ)。日本では、葬儀といえば仏式葬儀というイメージが定着している。世界各地でも葬儀と宗教は切り離せない関係にある。イスラム教やキリスト教はもちろん、各地の民族宗教に基づいて葬儀は行われている。ただし、日本でもそうであるが、純粋にその宗教の教義に基づいて行われることはなく、それぞれの地域の風習、慣習と混ざり合いながら(「習合」という)葬儀は行われている。葬儀が地域習俗と深く関係しているのは、地域(コミュニティ)=人間の生活の場、であるからだ。では、宗教と深く関係しているのはなぜか。それは、死というものの現実がもたらす悲嘆の強さと、死者の行方に対する思いが強いからだろう。